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札幌高等裁判所 昭和39年(く)11号 決定 1968年6月15日

主文

本件各抗告を棄却する。

理由

当裁判所の判断は以下のとおり。

第一、法四三五条六号該当事由の有無、

(一)  いわゆる梅田手記

本件手記は、それ自体こそ原訴訟で証拠調べされなかつたが、そもそも請求人自身で作成のうえ検察官に提出したものであつて、原一審公判廷においてみずからその経緯を供述するとともに、記載の内容についても一〇項目以上を列挙して具体的に明らかにしたものである。右手記にあらわれる新事実として所論の指摘する五点のうち、(1)取調官による暴行脅迫の程度態様(2)取調時間と拷問の事実という二点は、請求人が原一審以来の公判廷で反覆主張しつづけた事項であるし、(3)連行時に身震いした理由(4)橋本検事の取調時における請求人の心境(5)羽賀と対質した際の挙動という各点もまた、原一、二審公判廷における請求人の供述のなかに既にあらわれているのであつて、法四三五条六号の法意から考えて、以上の事実はいわゆる新規性を欠くものというべきである。

そうすると、右手記が提供するあらたな事実とは、たんに筆跡体裁等、右手記によつて立証すべき事項(所論にしたがえば、請求人の自白に証拠能力と証明力がないこと)の判断にはさほどの意味を持ち得ない、つまり「明らかな」の要件を欠く事実にすぎないことになる。結局本件手記は本条号に該当する証拠と言えないものである。

(二)  本件作業衣と船尾鑑定書

本件作業衣と鑑定書は、請求人が犯行時着用していたという着衣に血液の検出されない事実を提供するが、その新規性には若干疑わしいところがある。というのは、本件作業衣が捜査官の手許に押収されて存在することは、原裁判所が証拠とした請求人の検面調書によつて、(請求人はもとより)原裁判所も原弁護人も承知していたと認められるところ、他に請求人と犯行を結びつける物的証拠もないままに、入念な攻撃防禦のもと原裁判所がその解明に慎重苦慮した本件であるから、右作業衣に被害者と同型の血液が物的に確認されるならばただちに重要な積極証拠となるものであるにもかかわらず、この点あえて検察官の証拠調請求がないという訴訟手続上顕著な事実の意味(その合理的可能な理由が、これに血液―すくなくとも被害者と同型の―の検出されないためという以外あり得ないこと)を原裁判所において看過する筈はとうていないし、また欲すれば、当事者を促すなり職権によるなりして、この事実を証拠調手続にのせることになんの障害もなかつたのだからである。それなら、請求人の無罪を積極的に明らかにすべき間接証拠ないし有罪とするについての消極的間接証拠としての、その価値はどうか。まず本件着衣を犯行時のものだとするのは請求人の捜査過程での供述のみであるから、右供述がそもそも虚偽だというなら、血液付着がなくてもとより怪しむに足りないし、また右供述が正しいとしても、犯行現場の傾斜五〇度ともいう窪地の状況からみて死体の引き降ろしは割に容易だつたろうから、所論にもかかわらず犯人の着衣に血液の付着しない相当の可能性もやはり認めなければならない。つまり、本件作業衣に血液付着がない事実は、犯行と請求人の関与とを結びつける物的な積極証拠が着衣の点からもまた得られないという程の、消極的な意味を持つにとどまる。前記のように、その事実を推知しながらあえて証拠調手続にのせなかつたくらいであつてみれば、原裁判所がこの事実を、本件作業衣と捜査過程での鑑定書(その存在していたことは記録上明らか)という証拠方法により証拠調べしたとしても、そのゆえに有罪認定が妨げられるほど心証形成に影響したろうとは認められない。

むしろ、本事実は、請求人の供述中事実に反する点があるということで、その自白の信用性判断に関連すべきものであろう。しかし、右判断に影響すべき消極の補助事実が既に原裁判所にすくなからず知られていたことは所論指摘のとおりであり、そのなかには例えばバットの隠し場所の件などの重要なものも含まれている。原裁判所はその知つた積極、消極の諸補助事実を総合的に比較勘案し、そのうえで請求人の供述中犯行に関係ある自白の中心的部分は信用すべきだと判断したものである。多岐にわたる供述事項中、さらに一点、血液付着に関し事実に反する部分のあることが当時判明していたとしても(事実これが原裁判所に知られていたふしもあることは前述したところから明らか)、また、被告人が犯行時の真の着衣でないものを偽わつて押収させた疑もまつたく理由のないことではあるまいから、そのために原裁判所の右判断が大きく影響され、被告人に無罪を言い渡すほどに自白の信用性を低く見ることになつたろうとは認めがたい。

本件作業衣と船尾鑑定書は、本条号規定の証拠でない。

(三)  羽賀竹男の書簡二通と書面一通

本件三通の文書をそのまま読めば、「請求人は本件犯行の犯人であるが、五〇万円出すなら再審請求で請求人に有利なよう虚偽の供述をしてやろう」という共通の趣旨のものである。これを所論のように、羽賀が請求人をおとしいれたことを謝罪し事実を告白する旨申し出た趣旨に解しようとするのは、およそ無理である。

もつとも、羽賀竹男が私欲のためには偽証すらやりかねない男であることを明らかにすることによつて、その供述の信用性を弾劾すべき証拠となりうることは当然である。しかし、羽賀供述の信用性についての消極的な補助事実は、これを同人の性格に関するものに限つても、既に多くが原訴訟に現われていることは記録上明白であり、しかもそのなかには相田賢治に関する件のごとく、本件三通の文書に比してより重大な影響を信用性判断に及ぼすべき事実も含まれているのであり、してみると、この点に関して、原訴訟に明らかにされたのと同種類似の訴訟上の意味を持つ事実をあらたにひとつ追加するにすぎない本件文書が、もし原裁判所に知られていたとしても、ためにその有罪認定が妨げられるほど羽賀供述の信用性判断に影響した筈だとは認めがたい。本件三通の文書は本条号規定の証拠にあたらない。

(四)  O供述と同書簡

羽賀竹男の供述を内容とするO供述(同書簡を含む)の証明力を考える。

現在強盗殺人、死体遺棄罪で服役中(これについて再審請求を準備中だという)のOは、昭和三一年一二月から翌三二年中頃にかけ当時の札幌大通拘置支所において、在監者の運動や入浴の機会に、羽賀竹男から本件についていろいろ話を聞いたということである。

その際羽賀は、初め本件人殺しの計画を請求人に持ちかけ、いろいろ相談もしたが、結局請求人では頼りないということで犯行からははずしたのである旨述べたという。ところでこの点当審の事実調で請求人は全面的に否定する。それならこれは羽賀の嘘言なのか(所論はOに対する羽賀の私語に公判廷の供述以上の高度の信用性があると主張するわけだが)、あるいはこのような話を聞いたというのがOの虚構なのか(所論はまたO供述が羽賀の語つた内容を正確に伝えているとして高度の信用性ありと主張するわけだが)、それとも請求人が偽わりの否定をしたのであるか(所論はいうまでもなく請求人の所論に沿う弁解こそ信用性ありと主張するわけだが)。

また、真犯人の名前住所を聞いているとしながらそれを明らかにせず、その理由としてOが縷々述べるところは、あるいは羽賀に頼まれた趣旨を尊重してとか、手許にメモがないためとか、どうせ住所も姓も変つているだろうしとか、弁護人に経済的負担をかけたくないのでその消息など自分である程度調べてからとかであり、名前を聞き知つているのがまこと事実ならば、これを明らかにするうえに合理的に障害になるとはおよそ考えられないことばかりである。原決定も指摘するように、真犯人の名を聞き知つている旨のO供述は疑わしい。

さらにO供述には重要な点に前後の不一致がある。即ち、その書簡と本請求原審での供述(提出したメモを含め)では、羽賀が真犯人である近親者をかばつて請求人に濡れぎぬを着せたとの趣旨で通しておりながら、当審においては真犯人は近親者でない旨供述を変え、この重要なくいちがいを指摘する弁護人の問に対し、明確に答えることができない。その供述の信用性をいちぢるしく害うものである(のみならず、請求人の言うように、羽賀と請求人の出会いが終戦後わずか二度それも短時間のことだというのなら、捜査官から共犯者の名を訊ねられた羽賀がとつさに請求人の名前を持ち出すについては、それ相当の動機経緯がある筈であり、だからこそ所論は真犯人近親者説を強調するのであるが、Oが当審で供述する真犯人像が羽賀の口から出た真実のものであるなら、右動機の点は著しくうすらぎ、これを前提とする主張も多少なりぐらついてしまうことになる)。

のみならず、いわゆる真犯人についての、事件の筋と直接関係のない、羽賀と知り合う以前の詳細な経歴生い立ちに関する事項となると、これがすべて看視の目をのがれての私語に羽賀の口から実際に出たことだというのはそのままは信用できかねるし、ましてそのいわゆる真犯人に関し「爾志郡の乙部村で」「その時分の乙部村というものは元和、姫川、鳥山などの部落があつた、三つの部落を言つていたと、この三つの部落を彼(羽賀)はあげておりました」「千歳郡の千歳町というところ」「その牧場はどこにあつたかというと、北見から網走本線で、私この辺の地図にあまり詳しくないんですが、上常呂、日の出を通つて訓子府というところがあつたそうですが、その訓子府というところで働こうと」という地名のあげ方は、これがそのまま羽賀の話に出たというのもとうてい考えられない(まさか羽賀が地図を示してOに説明した筈はない)。

O供述(書簡を含め)の疑点は以上の指摘に尽きるものではなく、総じてその供述のどの部分が羽賀の口から出たことか、どの部分がOの潤色したものか、識別は容易でない。O供述が、羽賀の発言内容をそのまま伝えているとはとても言えない。よしんば請求人が真犯人でない旨羽賀が本当に述べたことがあつたとしても、Oもいうように、弁護人から五〇万か一〇〇万円ぐらいせしめてやる旨の話もあわせて出ていたというのなら、現にその趣旨を持つ前記羽賀文書三通が存在することと考え合わせて、羽賀がそのような発言をした真意には疑の余地が大きく、羽賀について、その原公判での供述よりもOに対する供述の方がより信用性が高いと認めるわけにはいかない。

もつとも、真偽は別にして、請求人が真犯人でないという話が事実あつたとすれば、自己矛盾供述として羽賀の原公判廷における供述の証明力に関わりを持ち得ることにはなろうが、しかし、この点についても、そもそもOに対しそのような話があつたかどうかさえ疑わしいばかりか、前記(三)において述べたと同様の理由がこの場合にもあてはまるのである。

O供述、O書簡(その内容である羽賀供述も)は、本条号所定の証拠と言えない。

(五)  以上のとおり、所論の個々の各証拠はいずれも法四三五条六号に該当しない。うちいわゆる新規性ありと認められるもの(若干の疑わしいものも含め)を全部総合し原記録と対照してみても、原裁判所において知られていた積極消極の証拠(事実)関係に大きく影響し、その結果原裁判所の有罪認定が決定的に覆えつて、請求人に無罪を言い渡すべき高い蓋然性があるとは認めることができない。

第二、法四三五条二号、七号(四三七条)該当事由の有無、

法四三五条二号の事由があれば、それが原判決の認定に影響を及ぼすと否とにかかわらず、それだけで再審が開始される法意にかんがみ、法四三七条による証明は極めて高度のものでなくてはならない。本件について言えば、羽賀竹男の原公判廷での供述につき、偽証罪の確定裁判を得られるほど確実な証明(証拠能力と証明力の点で)が必要だということである。この証明のないことは既述のとおり。

また所論司法警察職員に対する供述調書は、原判決の証拠とされていないこと原決定のいうとおりである。七号に該当すべくもない。

第三、結論、

以上のとおりであつて、本件再審請求を理由なしとして棄却した原決定の結論は、これを正当として当裁判所の認めるところであるから、本件抗告は理由がない。

よつて刑事訴訟法四二六条一項により、主文のとおり決定する。(斎藤勝雄 黒川正昭 柴田孝夫)

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